私が勝手に人生の恩人だと思っている和田秀樹さんが、このたび本格的な受験本を出版されました。
ゆとり教育の実害として教育格差が広がっていることは、メディアなどを通して聞いていたのですが、想像以上にヤバいことになっているようです。私が大学受験をした20年前の常識は、もはや通用しないと考えたほうがよさそう。
本書を読めば、現在の教育現場が抱える致命的な問題点と、大学受験に関する最新の情報と知識を得ることができます。子を持つすべての親だけでなく、これから受験に挑む子供たちにも、自身の立ち位置を知るために読んで欲しい本です。
和田秀樹さんが恩人である理由
「受験は要領」という本をご存知でしょうか?和田秀樹さん(現精神科医)が20年ほど前に出版した本で、ベストセラーになった本です。
20年以上前、高校生だった私は、この本を読んで目のうろこが落ちた記憶があります。高校のクラスで最下層だった私は、この本をキッカケに勉強法を変えて、現役で某国立大学に滑り込むことができました。
私は中学生までは、学力的には2番手グループでした。授業の内容はほぼ理解していたのですが、テストで100点をとれるわけではない感じです。
勉強の方法といえば、テキストを最初から順番にやってました。社会や理科はキッチリノートを作っていました。学習塾にも通ってましたがどこかふわふわした感じでした。
高校受験では、学区外の進学校を受験したのですが、見事惨敗…。行きたくも無かった新設の私立校に特待生として進学しました。
クラスメートは全員特待生。県内トップ高を落ちた連中や、進学校が近所に無い田舎地区の秀才がごっそり入学していて、あまりのレベルの高さに面を食らいました。一年生の二学期のテストの順位は、120人中110位と、散々でした。
そんな時期に、和田本に出会ったのです。
まとめると、(1)締め切りである受験の日まで、(2)知識や解答スキルを頭の中に残し、(3)志望校の合格最低ラインをクリアするための得点力をつけるために、自己能力や志望校の問題の分析を行いながら勉強することが、受験勉強だと私は定義したい
「数学は暗記。すぐ答えを読め!」「英語は文法より、構文をすべて丸暗記しろ!」といった、まだウブだった私には思いもつかなかった勉強法が目白押しでした。「まず最初に受験校の過去問を解け」は、今では資格取得時の当たり前のノウハウですが、おそらくこの和田本がソースだと思います。
私は完全な理系人間で、国語や社会が苦手でした。理系科目で受験できる私立大(JAL明法中学*)に目標を絞って、勉強することにしました。国語や社会の授業中は、数学や物理の問題を解いているか、寝てるかどちらかでした。
大学受験に絞った勉強のおかげで、予想合格率は次第に上がってきました。センター試験の直前に古文と漢文の例文を集中的に暗記してセンター試験を受験したところ、意外にも高得点が取れた(しかも全科目で最高得点w)ので、某国立大学(東大ではないよ!)を受験して、奇跡的に合格することが出来ました。私学もJAL明法中学のうち、2校に合格しました。
大学受験は私立高校が有利
とはいっても、すべて和田本のおかげというわけではありません。私が通った高校は、一つでも多くの進学実績が欲しい新設私立校でしたので、高校から全面的なバックアップがありました。
二年生までに、3年間のカリキュラムを全部終了して、三年の授業は受験対策がメインでした。友達も受験に対して意識が高く、私を含めて高校受験の失敗経験者が多かったせいか、大学受験で逆転を望む空気がありました。
どの参考書が解かりやすいとか、どの予備校の先生がわかりやすいとかの情報も、友人たちとやり取りしていました。
高校で学ぶ量は、中学の量とは比較にならないほど多いです。中学生までのように、フィーリングだけでやっていては、絶対に消化できません。明確な目標(志望校)を立てて、何を勉強すべきかを考えて、受験までに計画的に勉強していけるかどうかで、勝負が決まります。
私は和田本を読んで、そのことに気がつけたので、なんとかギリギリで合格することが出来ました。我々の時代の普通の公立高校では、たとえ進学校だったとしても、中学校までのように、学校で配られたテキストを最初から読んでいくような勉強をしている学生が多かったのではないかと思います。
実際に、私が不合格となった進学校に進学した中学の同級生は、「えっ?」と聞き返してしまうような、無名の大学に進学したと喜んでいました。「頭良かったのになんで?」と頭を傾げた記憶があります。
いくら中学まで頭が良くても、高校3年間をどういう意識で過ごすかで、取り返しのつかない差となってしまうのです。20年前の時点でも、大学受験については、公立高校よりも私立高校の方が有利だったと思います。
ゆとり教育は学力の二極化を生んだ
前置きが長くなってしまいましたが、さて、最近の状況はどうなっているのでしょう?
ゆとり教育によって、小中学校での絶対的な勉強量が低下して、十分な実力がついていないまま、高校に入学してくるのだそうです。先にも述べたように、高校ではさらに勉強量が多くなるのにも関わらずです。
私は中学受験に対して否定的でした。中学校から私立に入れる必要があるのかな?受験塾に通わせて、鶴亀算のような特殊な勉強をしてまで、中高一貫校に入学する必要があるのかなと。
最近子供が中学受験をした知り合いに聞いてみると、話しは全然違いました。受験塾といっても、難しいことはしていないそうです。学校の授業では足りない分を補習するレベルなのだとか。我々は当たり前と思っているレベルまで、小学校では教えてくれないのだそうです。
よって、塾へ通う子と、通わない子では、学力に雲泥の差がでてくるそうです。本書には衝撃的なグラフが掲載されていました。普通、学力分布は平均値を頂上とする山形になるものですが、最近の分布は、二つの山ができます。学力格差が広がっているのです。
現在の教育の問題点をあらかじめ理解していれば、適切な補習と、大学受験に関する情報を確保することで、公立の小中高でも有名大学に十分入学できると、私も思います。とはいっても、毎日補習塾に通わせるくらいなら、大学受験を強く意識した私立の一貫校へ入学させたほうが確実かもしれません。
経済的な理由で私立校に入れられない家庭は、最近は公立の中高一貫校が全国の各県で開校しているので、そちらを目指しても良いと思います。
勉強ではなくて、「勉強の方法」を学べ
親の年収が高いと子供の成績が良いという話しはよく聞きますが、そのほかにも、親の学歴が高いと、子供の成績が良い傾向にあるそうです。
これは、遺伝による頭のデキによるものではなくて、学歴の高い親は、自分が実際に受験勉強をした経験があるので、勉強ではなくて「勉強の方法・コツ」を子供に継承できることが効いているのだそうです。
受験勉強というのは、批判が多いが、実際には長く時間をかけるほど余裕を持って取り組めるし、また負担もかえって少なくなる上に、深いところまで勉強できるものだ。
現在のいびつな学習指導要領のもとによる公立高校のほうが、はるかに過密なカリキュラムを高校時代に強いられることになり、余裕のない高校生活を送るはめになる。
本を読んで教養を身につけたり、将来のことを考えるなどの時間をもつことが困難になる
受験勉強で覚えた知識も将来多少は役に立ちますが、なによりも「物事を達成するための方法」を身につけられることの方が、社会に出て色々な仕事をする上で貴重なものになるはずです。
子供の教育については、家庭によって色々意見が分かれるところだと思いますが、偏った見方をしていると、子供の将来の選択を狭めてしまうことになりかねません。
本書では、勉強のほかにも、運動会で徒競走がなかったり、主役不在の演劇をさせたりする、現在の教育現場の問題点を痛烈に指摘しています。一つの意見として読んでみることで、より適切な選択をするための材料になると思います。
【追記】
私に「受験の要領」の本を読ませたのは、両親(高卒)です。苦労している分、先見の銘があったのかもしれません。
* JAL明法中学とは、上智、青山、立教、明治、法政、中央、学習院の頭文字を並べた、都内の偏差値が比較的高い私立大の総称
コメント
今、公立中学生の子どもがいます。二極化の中にいます。で、お友達関係も二極化していて、派手なグループと地味なグループに分かれています。(うちはジミーズと呼ばれるグループです)派手とジミとの間は全く交流はありません。大体全クラス同じようです。参考になればと思い書き込みました(これでいいんだろうかと思っていますが)
ド田舎の公立高校の出身で、浪人して去年某国立大学に入りました。小中のゆとり教育についてですが、公立の中学3年の時初めて塾に通いだしたのですが、学校で習っていない事ばかり教えられて驚いたのを覚えています。特に歴史、数学。高校受験で覚えなければいけない歴史の単語が教科書に載っていないとは、これいかに!
後、大学受験も塾に通う通わないだけで勉強の効率の良さが全然違います。私の地元は大学受験の為の塾がないので、都市に出て(寮に入り)塾に通って、その効率のよさにまた驚きました。もちろん頭のいい人は塾になんか通わなくとも大丈夫でしょうが、地方と都市で何か大きな差があるような気がして悔しかったです。
私の子どもの通っている公立小学校でも、ふたこぶの学力差の問題が生じています。
私は、これには学習指導要領のおかしさのみではなく、就学前の育てられ方の問題も絡んでいると思うのです。
一年生問題ということばができつつあります。小学校に上がった子どもが、学校の授業時間中すわっていられず立ち歩きほかの児童にちょっかいを出す、コミュニケーションがとれず急に乱暴を振るってしまうなどの状態になってしまうことをさしています。
これにある種の保育園の存在が大きくかかわっていると思います。
保育園と幼稚園の違いをご存知だとおもいます。
あらためて書くと、大きくは
保育園は、厚生労働省の管轄で、保育に欠ける子どもを保育するところ、
幼稚園は文部科学省の管轄で、子どもを保育し、適当な環境を与えてその心身の発達を助長すること(学校教育法第77条)を目的としたところ
ということです。
乱暴な解釈ですが、あえて書いてしまうと
保育園によっては「食べさせて寝かせて、ともかく体が育てば良い。」と理解しているようなのです。そしてそのような保育園では躾をするのは教育で保育ではないと言い放つ保育士さんもいて、登園後はほぼ一日自由活動のみとなり、好き勝手に遊ぶことだけで保育園時代をすごしてしまうのです。
集団で何かを作ったり、簡単なことを学んだりという経験が極端に少ないのです。さらにこのような園では、言葉遣いで、「死ね」「消えろ」などの言葉を簡単に使わないなど、都度つど教えられたり、きちんとあいさつをするなどの躾をうけたりすることが無く、「かして」「いいよ」などのやりとりや、「今使ってるから今度ね」と話して、それがちゃんと行われるように大人も協力するなど、遊具の貸し借りなどにおけるコミュニケーションの方法を教えられることもないのです。
結果、集団内で 言ったモン勝ち、やったモン勝ち、ズルやわがまましたモノ勝ちがまかり通り、小学校入学後も、その気風を持ち続けるために、学習指導のおおきな妨げになるのです。
こういった子どもたちが、教室から出てしまったり、授業中に勝手なことをすれば、教師は当然それをとめようとします。問題は、集団行動や学習の経験がないために、止められたり注意されると 暴れる、泣き叫ぶ、口ごたえをするなど、さらに授業の進行を妨げることをするという事なのです。子どもが外に出てしまって怪我をしたりすると責任問題になってしまうため、こういった子どもを優先的に対応しなければならなくなっている原状があるのです。結果、もう少し先生が時間をかけてあげれば学力がぐっと伸びる子どもにフォローをする機会がまったく失われてしまうのです。
娘の学年の場合、これを行ったのは同じ保育園を卒園なさったお子さんでした。学区内には3つの保育園がありますが、残りの二つを卒園なさってきたお子さんにはそういった行動は見られませんでした。
学力分布のふたこぶ化の原因がこれだけだとは言いません。指導要領にも現在の教育の現場にも、教員免許の更新方法など、いくつも大きな問題があると思います。が、一年生のクラスでのこのような事態は、深刻な問題だと思います。
robbinさんのご意見、分かりやすくって感動し再度書き込みしています。なるほど。確かに保育園にそんな環境のところがあるなら、今私の置かれている状況も説明がつきます。子どもの基本的な考え方が全く違うので合わないわけですね。妙に腑に落ちました。