今年のお正月も、箱根駅伝が開催され、盛り上がりました。なぜ駅伝はこれほど盛り上がるのでしょうか?
200km以上の距離を10人で繋ぐのは、なかなか難しい。そんな中で、選手一人ひとり、違ったストーリーを背負って走るのです。
本戦に出場できなかったチームの上位選手で編成される「学連選抜」チーム。いわば寄せ集めのチームが、一つにまとまり、上位に食い込むことができるのか?
物語にどんどん惹き込まれて、最後まで一気に読んでしまいました。
人それぞれ、走る理由がある
ましてやアンカーは、実質的にどうでもいい存在なのだ。順位を落とさず、ただ無事に走り切ればいい。そのために、あまりタイムの良くない選手を配することすらある──去年の浦のように。ただし浦は、七位で襷を受けたのに、十五キロ地点から失速し、最後まで走り抜いたものの最下位に沈んで、チームはシード権を失った。
箱根駅伝中継の前や途中、終わりなどに、各選手のレースに向けての練習の様子や、生い立ち、これまでの経緯などが紹介されます。
選手それぞれ、色々なストーリーの中でレースに臨んでいるのです。
ただハーフマラソンを10人で繋ぐだけでなく、各選手の想いを繋いでいると考えると、色々なものが重ね合わされた、厚みのあるものになってきます。
小説内では、浦選手が、前年の失速のリベンジを誓って走ります。
コース適性がある
箱根駅伝の各区間は、距離も高低差もすべて異なります。トップランナーでなくても、自分の強みを活かして、活躍できる可能性があります。
特に、山登りの五区は、スピードがなくても、山登りに適したパワーや、軽い体を持った選手が活躍します。
小説内では、門脇選手が、クロスカントリー経験を活かして、活躍しました。
背中に重心を置くことを意識した。踵から着地するな。そんなことはできないのだが、土踏まずを意識して、そこから落ちる感じを持て。そうすることで、踵の負担を減らすことができる。衝撃は膝で受け流せ。とにかく前屈みになってはいけない。ヘソでバランスを取り、道路に対して体を直角に保つ。
逆に六区は、下りで貰えるスピードを、ブレーキをかけずに使い切れる選手が活躍します。スピード適性があるので、マラソンなどで活躍する選手も多いです。
誰かのために頑張る
自分のためだけに走る。それは決して間違いではないが、それでできることには限りがある。誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ。
駅伝は、基本的には一人で、自分のために走ればよいわけです。しかし、実際に駅伝に参加したことがある方は覚えがあると思うのですが、一人で走るよりも頑張ります。
なぜなら、チームメイトがいるからです。
次の選手が楽に走れるよう、できるだけ早くつなぎを渡したい。これまで繋いでいた選手の頑張りを、無駄にはできない。
仲間のために頑張る想いがあると、自分のためだけの時よりも、大きな力を出すことができます。
小説内では、自分のために走ると言い切っていた山城が、レース中に初めての故障を経験しつつ、アンカーの浦を想いつつ激走するシーンが、胸を熱くします。
駅伝の矛盾と本質
チームのためだが、自分のためでもある──それが駅伝という競技の矛盾であり本質でもあるのだ。
ハーフマラソンを10区間、200km以上のコースを、最後まで繋ぐのは、大変です。
一人でも失速してしまうと、全体の失速につながってしまいます。最悪の場合、棄権して、その後の襷が繋がらないこともあります。
調子が良くて、気持ちよく走っていたら、オーバースピードで後半失速してしまうシーンは良く見かけます。
10人の気持ちを揃えることは、難しい。途中で何が起きるかわからない。箱根駅伝はチーム種目であり、だからこそ面白いのだと思います。
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