我々は何かしら指導者やリーダーとしての立場をとります。家庭では子供たちの指導者であり、リーダーでもあります。職場で後輩を教育することもあります。
力のある指導者やリーダーには、人がついていきます。しかし、同じ指導をしているのに、上手く回らない指導者、リーダーもいます。両者の違いはどこにあるのでしょうか?
自分を指導者だと思わない
2016年2月21日の日経新聞「日曜に考える」の、湘南ベルマーレ監督のチョウ・キジェさんの言葉に、そのヒントがありました。
湘南ベルマーレは、J1チームの中で予算が少ないチームの一つ。しかし、若手選手主体だからこそできる「走るプレー」で、活きの良い試合をしています。とはいえ、ただ走るだけなら、他のチームでもできます。湘南が強豪チームと互角に戦えるのは、チョウ・キジェ監督の指導力も大きいはずです。
チョウ・キジェさんは「自分を指導者だと思わない」とのこと。
その人に地位や権威が備わっているからではなく、パーソナリティが素晴らしく、リーダーにふさわしいから周りがついていくものだろう
権威にあぐらをかいて、上から目線でものを言うのではなく、一人の人間として選手と接して、良い関係を築けるかが大切なのだと、理解しました。
人間性を磨く
指導者は、選手に向かって、色々注文をつけます。無理難題も多くなります。指導者と選手に良い関係が築けてないと、「そう言うお前はできるのかよ」といった反発が生まれてしまいます。
指導するには説得力が必要です。合理的な理由だけでは足りません。人は理性よりも感情で動く動物だからです。説得力をつけるには、合理性と指導者の人間性が必要です。
大事なのは、言葉の裏側にあるもの。選手は言葉の裏側にあるその人の姿勢を見ている。その姿勢や生き方に共感すれば言葉が心に入っていく。言葉に力がある人は自分を磨く努力をしている。常に自分の生の姿で人と接したり、考えたりすることの積み重ねが重要なのだと思う。
つまり、指導者やリーダーは、人間的に魅力があり、輝いていないといけないのです。いくら聞こえのよい言葉でも、姿勢や生き方が薄い人が話すと、重みがありません。
良きリーダーは誰にでもなれる
とはいえ、指導者がスーパーマンである必要はありません。金メダルの選手を教える指導者が、元金メダル選手である必要はありません。
プロゴルファー石川遼さんのコーチは、お父さんだそうです。お父さんはプロゴルファーではない、普通のサラリーマンの方だそうですが、遼君のスイングをよく観察して、良い時と悪い時を違いを指摘できるそうです。長い間我が子を見つめてきた姿勢が素晴らしいです。
良き指導者、リーダーになるためには、権威の意識は捨てる。おごらず謙虚に、相手を受け入れ、一緒に対策を考えていく。自分自身も汗をかき、自己を磨いていく。外面だけでなく、内面を意識していくことが大切なのです。
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