箱根駅伝を舞台とした、青春小説。
私はマラソンが趣味で、毎年駅伝大会にも参加しています。楽しく読む事ができました。
なぜ人は走るのか?という根本的な問いの答えがちりばめられています。ランナーの数だけ、想いは様々です。
自分との戦いを積み上げる
駅伝は一人でも欠けたら成り立たない。
求められていることを実感できるし、遠慮もプライドもかなぐり捨てて、支えあうことができる。
だけど走るあいだは一人だから、他人の思惑や人間関係のしがらみから解き放たれて、自分の心と向きあえもする。
駅伝の魅力は、各人走ることに対する考え方は違っても、力を結集してゴールを目指せることです。
一人で走るのと、複数人で走るとでは、責任が全然違います。その負荷が大きな力を引き出してくれることもありますし、逆に脚を引っ張ることもあります。
それでも、最終的にはランナーの自分との戦いです。各ランナーのタイムの積み上げで勝敗が決まります。チームの事を考えつつも、自分の仕事にいかに集中できるかが一番重要なのです。
誰でもランナーになれる
完璧な走りを体現する走も。
それを見て静かな喜びと闘志を瞳に湛える清瀬も。
二人のレベルにはとても追いつけずとも、最後まで走り通した王子も。長距離の世界において、だれもが等価で、平等な地平に立っている。
マラソン世界一の選手も、一般ランナーも全力で走りきれることによって得られる達成感や喜びは同じです。活躍するステージが違うだけです。なにか特別なことをしなくても、何からでも人は学べるのです。
トップ選手のしなやかな走りに感動し、一般ランナーの必死の頑張りにも共感し合います。走りにはランナーの数だけドラマがあります。ジョギングは特別な身体能力を持つ人だけのものではなく、みんなが平等に達成感を得られるすばらしいスポーツです。
走る先にあるもの
でも、ちがうんだ。
俺が、俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。
走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所。いますぐには無理でも、俺はいつか、その場所を見たい。
それまでは走りつづける。
この苦しい一キロを走りきって、少しでも近づいてみせる。
走る事によって、ダイエットできたり、身体能力が向上します。しかし、それらを目的にジョギングを始めても、なかなか続かないでしょう。
走り始めると、最初は苦しい日々が続くと思います。ある程度走り込んでいくと、呼吸が楽になり、体が自由に動くようになります。すると、走ることで気持ちがよくなり、走ること自体が目的になっていきます。
走ることは「禅」にも似ていると思います。走ることによる心地よい疲れや心が休まる感じの延長線上に、本小説の主人公たちが目指していたものがあると思います。
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数十キロも走り続けられる動物は、人間しかいません。幸か不幸か人は生まれながらにしてランナーなのです。
はじめはすぐに息切れしてしまうかもしれませんが、ちょっとだけ走ってみませんか?景色が変わるかもですよ。
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