心理学の「社会的証明」をご存知ですか?行列ができているラーメン屋の味の方が信用されやすい傾向にあります。人は周囲の出方を伺いながら判断しているのです。
ソーシャルメディアのフォロアー数やいいね数、アマゾンの売り上げランキングは意図的に上げられます。つまり「ネット上の評判」は操作することが可能なのです。
評判のねつ造
たとえばこんな有料セミナーがあります。
会費が1万2000円のセミナーです。
1万2000円あれば、中古のPSPかDSが買えます。
主催者のプロフィールには「ITの天才」とあります。
Twitterを見るとフォロアーもフォローも3万人近く居ます。
via: P61
ツイッターのフォロアー数が5,000人当たり数千円で購入できたり、「いいね」数も購入できるそうです。「社会的信用」をねつ造して、評判を獲得しているのです。しかし、実態が伴わなければ、化けの皮はすぐに剥がれます。
ソーシャル時代では、不正な行為はあっという間に人々に暴かれて、流通してしまいます。不正はソーシャルの格好のエサなのです。ハンドルネームを変えて再スタートしても同じことです。きっと誰かに暴かれて、ソーシャル上のネタにされるでしょう。
ソーシャルメディア自浄能力の強さは、意識しておいたほうがよいと思います。
「一位」アピールに気をつける
楽天の「中カテゴリー」は300種類以上あります。
つまり300種類×365日=10万9500で、一年にデイリーカテゴリー別ランキングで「楽天で一位」を取った商品は最大で約11万個ある、ということになります。
via: P72
あらゆる手段を駆使して、短時間で売り上げを作ることができれば、一位の称号を得ることは可能です。
最近、新しく出版される書籍で「Amazonキャンペーン」を行うところが増えました。書籍を購入してくれた人にプレゼントをしたりする企画です。短期的に売り上げを増やして、ランキングを上げるために行っているのでしょう。
企画が悪いと言っているわけではありません。本を読む側としては、ランキングを意図的に上げる方法があることを知っておいた方が良いと思いました。
グタグタ理屈をこねる前に、動くもの作れよ
会議は難航し、もめにもめました。そのとき、一人の研究所の主席技師が決定的な一言を言いました。
「動いているソースコードが、いちばん正しい」
この一言がきっかけになり、僕のプリンタードライバーを組み込んだプリンターは正式に販売されることになりました。
via: P121
世の中はドンドン便利になってきています。個人でも実現できることは増えてきました。特にWebプログラムについては、ネットにつながったパソコンとテキストエディタがあれば、誰でも作ることができます。
「独立したら」「参考書を全部読み終えてから」「アイデアをしっかり煮詰めてから」など、スピード感のないやり方では、同じサービスを別の人に作られてしまいます。
見た目の体裁はメチャクチャでも良いので、まずは基幹となるロジックをシンプルに組んで動かしてみる。動くものを見れば、自分も周囲も納得します。理屈だけならべて何も作らない人は、何も得られないのです。
とりあえずやってみる精神
僕が高校のときに読んだ数学の教科書にこう書いてありました。
好きだからできるようになるのではない。できるようになったから好きになるのだ。
via: P158
幸運にも、私は好きなことをして生活しています。しかし、その「好きなこと」は最初から好きだったことではなかったなと、本書を読んで気がつきました。
Web技術は学生時代にたまたまインターネットが研究室に引かれていて、簡単なwebページを手打ちで作ったことがきっかけでした。ジョギングも、たまたま担任になった日体大卒の先生に長距離走をしごかれた経験がベースにあります。
そういった「可能性の芽」を、ただぱっと見で「嫌いだから」「面倒くさそうだから」と排除してしまうのはもったいないです。少なくとも物事の評価は「面白そうか」で決めたほうが良いかなと。
人は過去の経験の積み重ねだと思っています。今の仕事が嫌いでも、仕事から離れてしばらくしたら、好きになるかもしれません。あえて積極的に嫌いなことにチャレンジする必要はないかもしれませんが、たまたま巡り会ったものを大事にしていけば、自分の引き出しが増えていくでしょう。
ソーシャルメディアはバランス弁
そんな僕の「5年分のブログ」を今回、本にまとめました。時代背景に合わない記事を抜いて、多くの加筆をしました。
読んでいただくとこの5年の間に浸透してきた「ソーシャル」の危うくて信用できない感じが、よくわかると思います。
via: P13
良いものを作れば、良い記事を書けばヒットする時代は終わりました。昔は情報源が限られていたので、その中で良いものを出していけば評価されました。
現在は人々の好みは細分化され、情報源は多種多様になってきました。特にソーシャルメディアは、テレビや新聞などのマスメディアを補完する形で、存在感が大きくなってきました。
これまでは声の大きい大企業やマスメディア、権威者からの情報が幅を効かせていた感がありました。今はソーシャルメディアの多面的な評価により、行き過ぎた情報に対してより深い判断ができるようになりました。ソーシャルメディアは世論のバランス弁のようなものです。
ソーシャルなんて嘘ばっかりだ!が本書のテーマ。でも、ソーシャルの嘘を暴くのもソーシャルメディアです。本書の著者の村上さんはソーシャルに感じる違和感をネットで叫んでこられました。ソーシャルメディアが本来持つ強力な自浄能力が、行き過ぎたソーシャル賛否を押さえこんでバランスしようとしているように見えます。
「ソーシャルもうええねん」といいつつも、ソーシャルメディアの膿を出して、健全なソーシャルの熟成を願う著者の思いを感じました。
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