2016年秋から、2019年春まで、ランニング漬けの生活を送っていました。
例年だと、マラソンシーズンが終わる4月から9月中旬までは、オフにしていたのですが、この2年半は、夏も走り続けていました。
頑張り切ることができて、結果も出て、本当に良かったと思っています。
そして、ずっと後悔していたことを、救えた気がしています。後悔とは、自分の高校生時代です。
帰宅部で悶々と過ごした高校時代
人生の中で後悔があるとすれば、高校時代。ある意味、暗黒の時期でした。
高校受験に失敗し、滑り止めの高校に入学。正直好きな学校ではなかったです。今は愛してますが。
とりあえず、運動部に入りたいと思ってました。中学時代はハンドボールをしていたのですが、途中でやめてしまいました。
学校のパンフレットの部活紹介欄にハンドボール部の名前があったので、高校に入学したら、もう一度ハンドをしたいなと思っていました。
ところが、入学したら、ハンドボールは廃部になっていました。
実際には、私が入学したクラスは学業特待クラス。授業と勉強が忙しく、部活との両立はかなりキツいことが判明します。
結局高校3年間は、いわゆる帰宅部で過ごしました。
社会人になった今、高校生時代は運動部に入っておけばよかったな、という思いが強くなっていきました。
ランニングとの出会い
そんな中でふと出会ったランニング。禁煙のストレス解消に始めたのですが、いつでも一人でマイペースでできるのが、私には性に合ったようです。
次第にのめり込んでいきました。
ランニングを通じて、仲間やライバルもできました。タイム向上に達成感を感じ、少しずつ変化していく自分の体に自信を持てるようになりました。
そして、大きな記録を一つ達成することができました。2016年4月のチャレンジ富士五湖100kmを9時間43分で走り、サブ10(10時間切り)を達成しました。
ウルトラ100kmでサブ10を達成 チャレンジ富士五湖2016
10時間弱の時間、ずっと集中していました。走りながら、向こう側の世界に入ってしまったような、不思議な感覚があったのを覚えてます。自分の肉体が鍛えぬかれてきたことを実感しました。
アキレス腱断裂の不運
しかし、不運が襲います。同年の9月、フットサルをしていたら、左足のアキレス腱を断裂してしまいました。手術をして、何も支えなしで歩けるようになるまで、3ヶ月ほどかかりました。
元のように走れるようになるのか、不安でした。半ば諦めてました。
しかし、幸いにも予後の経過がよく、ウォーキングから次第にジョンギングへ。怪我から半年後の静岡マラソンでカムバックすることができました。
ラストチャンスで大目標を達成
ゴール後考えました。人生はまだ長いと思っていても、何が起きるかわからない。今回はたまたま復帰できたけど、病気になって死んでしまうかもしれない。
先延ばしせず、悔いの無いように生きたいと考えるようになりました。
目標をフルマラソンのサブスリーに設定しました。そして、富士登山競走完走と、達成済みの100kmウルトラサブ10と合わせて、「市民ランナーグランドスラム」を目指すことに。
しかし、半年のブランクは大きいです。怪我から1年でようやく怪我前の走力へ戻りました。
その後、富士登山競走完走とサブ3を達成し、市民ランナーグランドスラムを手に入れるまで、1年半かかりました。
怪我のリハビリも含めて、合計2年半もの間、ランニングを最優先した生活を続けての結果でした。
アキレス腱断裂からのサブスリー達成への2年半の軌跡 2017-2019シーズンまとめ
燃焼できた
年齢の壁も感じていました。47歳をすぎると、サブスリー達成の確率がガタっと落ちることを知っていたので。47歳になる前のラストイヤーに達成できたこともラッキーでした。
今は大きな達成感を感じています。自分にずっと欠けていたピースが収まったような感覚があります。高校時代にスポーツで燃焼できなかったという後悔を、この2年半が埋めてくれたのかもしれません。
今なら、仮に余命がわずかと宣告されても、子供たちの成長を見届けられないのは残念ですが、自分がやりたいことはやりきったと言い切れると思います。
現在はペースを落として、休息期間をとっています。流石に少し疲れました。それでも毎日10km走るようにしています。
そのうち、目指したい目標が生まれると思うので。それまではゆっくり走りたいと思います。