昨年のサッカーW杯では、日本はベスト16まで勝ち上がって盛り上がりました。日本人の岡田監督への手のひら返しも、強烈でしたね。メディアに踊らされすぎです。
前日本代表監督の、イビチャ・オシム氏が、日本代表のプレイを痛切に斬ってます。日本代表は確かにもっとやれた。ほんの少しのリスクと勇敢さをだせば、パラグアイに勝利して、スペインと戦うことで新たな歴史を切り開けたのです。
「ほんの少しのリスクと勇敢さ」とは何か?それは、日本サッカーだけでなくて、我々日本人全員が省みる必要がある「大切なもの」だと思います。
ディフェンスブロックは機能した
守備陣は非常にすばらしいディフェンスブロックを作った。阿部、中澤、闘莉王の3人は、他の仕事よりも何よりも守備を徹底した。そこにプラスして、川島という新たに代表に選ばれたチャンレンジ精神のあるゴールキーパーを得たことが大きい。阿部、中澤、闘莉王の3人は互いに信頼し意思疎通をを図り、素晴らしく守備的にプレーした。彼らは今後も、チームの心強いバックボーンとして、さらに成長してチームの核になっていくと期待していい。
今回のW杯の日本チームの活躍を支えたのは、阿部、中澤、闘莉王の3人であることは、誰の目からみても明らかです。特に阿部の奮闘は、すごかったですね。
サッカーでは、ゴール前のいわゆる「バイタルエリア」と呼ばれる地帯でプレーしなければ、点は多くは入りません。ディフェンスブロックの出来からすれば、日本代表はもっと果敢にリスクを取って、前に行くべきだったのでしょう。
本田圭佑と岡崎のパスワークを目指すべき
日本は、グループリーグの初戦で勇気のあるプレーのできることを証明した。本田が、デンマーク戦の3点目で岡崎への素晴らしいアシスト的な動きを見せたとき、世界が、ヨーロッパが、日本のサッカーに対して驚きと喜びを覚えた。日本はリスクを冒し、そして「チーム」としてもプレーができることを世界にアピールした
予選リーグ最終戦での、本田圭佑から岡崎へのパスは、W杯の中でも美しいゴールの一つでした。
もっとリスクをとって前にいければ、こういうシーンはもっと増えていくのでしょうけど、今回の大会では、遠藤、長谷部、阿部のミッドフィルダーは完全に守備に回ってしまい、アタッカー陣が孤立してしまいました。
勇敢で攻撃的なミッドフィルダー
その原因を辿れば日本流の子育てにもひとつ理由があるだろう。従順な子供は扱いやすいかもしれないが、これがサッカーでは一番大きなハンディキャップとなるのだ。突発的な問題がピッチ上で起きたときに、それを一人で解決する能力がなければゲームで勝つことなどできないだろう
中村俊輔や遠藤、小野といった日本人ミッドフィルダーは、自分ではなくて、他の人にやらせることを好む選手が多いとの指摘がありました。
私はハンドボールを競技していたのですが、どの球技も基本的に、まずは自分で勝負して、自分のマークを外して、相手ディフェンスのフォローを誘うことで、ディフェンスのマークがずれていくのです。フォワードが攻めるためには、ミッドフィルダーの仕掛けは必須で、後ろからどんどん勝負していかないと、ディフェンスが崩れた状態でフォワードにボールは渡りません。
積極的な選手が居ないことを、オシムは国民性にまで遡っています。何で積極的なミッドフィルダーが育たないのか?年少時からのサッカーの現場において何が起きているの?
その辺は私は良く知りませんが、勝利一辺倒で、組織的なプレーを強要する少年団のコーチと、それを支持する親の姿が、なんとなく想像できます。野球でも流し打ちやバントを絶賛する国民性ですからね。
スピード不足
日本の最大の長所は機敏性である。私が日本代表監督に就任した際、それを最大の武器として期待し、計算していた。実際、代表選手は信じられないほどの機敏性をみせてくれていた。それは、世界が「まるで忍者のようだ」と表現するほどのものだった。
両チームのディフェンスライン間の距離が30-40mにまで狭くなってきた近代サッカーのプレーのほとんどは、短距離のダッシュです。スケートの清水選手のロケットスタートを見てもわかるように、日本人は短距離ダッシュが得意です。
日本国内で、日本人同士でプレーしているだけだと、お互いに機敏性があるため、自分たちの長所がわからないのかもしれません。こればかりは、年少の頃から、他国とのマッチを増やして、「ダッシュでは勝てる」ことを体験して、伝え広めていくしかないですね。
非常に不思議だったのは、駒野を除き、日本人にはスピードを持ったプレーヤーが一人もいなかったという事実だ…。サッカーにおいてのスピードがないのだ。セルフ・イニシアティブにも欠ける。自分から率先して行動を起こさない。
効率の悪さの原因を突き詰めていくと、全て「スピード」にたどり着く
これは、足の速さの話ではなくて「判断スピード」の話です。優柔不断が多い日本人には耳の痛い話です。前述の「積極性」とリンクしている話で、自分で考えて自分から率先して動ける選手が少ないということです。
本来のチームは、選手同士が「周りを使って、周りから使われる」という関係にあるのでしょうけど、日本の場合は、周りを使う選手と、使われる選手が完全に役割分担されている感があります。日本人の職人意識が見え隠れしますね。
オシムが監督時代に「ポリバレント(ユーティリティー)」という言葉をよく使っていました。色々なポジションをできる能力のことです。これからは、パサーであって、シュートもできる。ディフェンスも出来て、ドリブル突破も上手いような、個々の技術モジュールにおいてもポリバレントな選手が必要なのかなと思いました。
メディアは若い才能の芽をつぶしてはいけない
Jリーグの観客も学ばなければならない メディアも成長豊かな若者を祭り上げて、台無しにしてはならない
マスコミが選手を勘違いさせて、潰してしまうことはよくあるそうです。前述の、岡田監督への手のひら返しではないですが、今のマスコミは一喜一憂しすぎて、一本のゴールで選手を英雄扱いします。
今大会の躍進の原動力は、ディフェンスブロックの奮闘にあるのですが、新聞の一面は、どこも本田圭佑の得点シーンです。得点はわかりやすいですので、注目されるのはしょうがないのはわかりますが、本質的な部分に目を向ける記事も必要かなと思います。
本田圭佑は今大会で2得点して、天狗になりそうなものですが、「自分に忠告をくれた人に感謝します」というコメントをしているそうです。素晴らしい姿勢ですね。
Jリーグのスタジアムは劇場
Jリーグにおけるサッカーは、まだまだ未完成だ。厳しい意見をいうようだが、まず第一にスタジアムに殺気がないのだ。ヨーロッパのほぼ全ての国において存在するプレッシャーは、日本には見当たらない。
以前、ドイツに旅行に行ったときに、ブンデスリーガーのゲームを観戦しました。盛り上がり方が日本とは全然違うのです。
熱い応援をしながらも、試合を良く見てるなと。日本のようにダラダラ応援するのではなくて、メリハリが利いているのです。良いプレーがあったときは、スタジアムの底からわきあがるような歓声が上がります。
Jリーグの応援は、合唱団のような応援がメインですよね。否定はしませんが、ずっと大声を上げ続けるのではなくて、もうちょっと試合を観察して、良いプレーにはより大きな応援してあげられる、そんな試合観を、ファン全員がもっと意識する必要があると思いました。
World’s Favorite Sport / vramak
ブログ更新と、サッカーの共通点
サッカー議論の素晴らしさは、他のジャンルの議論のガイドとして使えることです。今回は、ブログ論を引き出してみましょう。
ブログ運営もサッカーと同じく「勇敢」であることが必要です。いつも同じような記事を更新するだけでは、必ず飽きられます。ありきたりな話題は、見向きもされません。
常に創造力をもって、リスキーなネタに挑戦していくべきだと思います。他人の目を気にしているヒマはありません。なぜなら、我々は何も得てないし、何も始まっていないのだから。
とはいっても、何でもOKということではなくて、まずは得意なジャンルをベースにして、周辺のジャンルのネタも取り入れてくことからはじめるべきでしょう。そのためには「得意ジャンルに引き込む」技術が必要です。サッカーでいう「ポリバレント(ユーティリティ)」な能力です。局面ごとに、読み手が読みたい内容を察知して、更新していければ、最高ですよね。
リスクをとっていくには、ディフェンス的な記事、つまり得意ジャンルの定番の記事を定期的に更新して、ブログに安定感を持たせることが必要です。当ブログのディフェンスブロックは、今のところ、書評記事(つまり当記事)が担当しています。
なぜサッカー論がここまで盛り上がるのか?
サッカーの戦術論や組織論は、そのまま社会の仕組みに置き換えて考えることができます。逆に社会の仕組みを、サッカー戦術に持ち込む議論も、よく行われています。
「サッカーを透かして、社会を見る」ことができるのです。オシム氏は著書の中で、日本サッカーの問題点を、教育問題や社会システムにまで遡って、解決策を見出そうとしています。
日本ではあまりなかった考え方なので、新鮮に映りましたが、世界のサッカー先進国ではサッカーと国民文化を結びつけるで考えることは普通に行われていることなのでしょう。
サッカーほど議論されるスポーツは、他には無いと思います。サッカーが世界で一番競技されているスポーツだからです。世界中で散々議論を尽くされていて、各国ごとに議論は違います。
日本はまだまだ議論を尽くさないといけません。グローバルスタンダードなサッカー戦術をかざして日本社会を見ることで、日本サッカーの長所と短所を見極めて、ナショナルチームを構築していくことは、そのまま日本社会のシステムや価値観に少なからず影響を与えていけることも、サッカーというスポーツの魅力なのです。
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