Writing Notes with Grammy / wickenden
文章に王道はありません。好きに書けば良いものです。ひとつ判断基準があるとすれば、どれだけ多くの人に読まれているかで、文章の価値は決まります。なぜなら、読んでもらわないことには、文章が存在する意味がないからです。
すべては読み手のために。
読み手がわざわざ自分の文章を探しに来てはくれません。読み手のための文章を書き続け、自分の文章を読んでくれる人を自ら探して、読み手になってもらう努力が必要です。
文章とはサービスである
読む人のことをまず第一に考えて書く。それができないと、どういう文章になるか。
褒めてもらいたい、という気分が前面に出ている文章は、とても読みづらい。
たとえば、
「学生の本分とは何か。孔子曰く、学び手時に之を習う、又愉し可らず乎、即ち学習である。而して、昨今の学生の不真面目さは目を覆いたくなること暫し、まさに痛恨の極みである」
意味わからん。漢字多すぎ。引用が無意味。よく読むと、学生が不真面目だという、すごく無意味な内容しかない。
文章は、人に読んでもらわないと存在しないのと同じです。読んでもらえない文章は、買ってみたけど結局着ることがなかった、不思議な柄のシャツのようなものです。数年間クローゼットで保管したのち、処分されます。
つまらない文書というのは、書き手が「自分は賢く思われたい」というエゴが透けて見えます。辞書で引っ張ってきたような、普段は絶対に使わないような四字熟語・ことわざを得意気に使っている文章を見かけると、苦笑せざるをえません。
Writing My Name In The Sand / foilman
手持ちの言葉で、すぐ書け
手持ちの言葉だけで何とかしよう。
大丈夫、それで、何とかなる。
文章は、身の丈に合った表現がいちばん人に届く。
文章を書くのに、語彙力を増やしたり、辞書を準備する必要はありません。いま自分が持っている言葉で勝負すればよいのです。賢そうな言葉を使いたがる人は、最新式の自動小銃で猟に向かうようなものです。いざ獲物が目の前に現れて安全装置が外れず、あたふたしているうちに、その横で現地のベテランが弓矢で一撃でしとめるのです。
自分が使い慣れた言葉でないと、人に伝わる文章は書けません。使う言葉が、書き手の個性となるのです。
180/365 – Down To A Whisper / Helga Weber
人を変えない文章に意味はない
知らなかったことを知ったとき、人は、何かが変わった感じがする。
本当に変わったどうかはわからない。でも、自分で何かが変わったとおもうことが大事だ。
だから、おもしろい文章とは、読んだ人が何か変わったと感じる文章ということだ。
文章は人に読んでもらって、更に読み手を変えていくことで、初めて価値を持ちます。読んでもらうには、まずタイトルで人の目をひきつけなければなりません。人をひきつけるタイトルが付けられない文章は、焦点がボケている証拠です。特に、「痩せたいのなら、思いっきり食べろ」のような、おや?と思う「逆説」のタイトルは、人をひきつけやすいです。
「独断と偏見によれば・・・」は、文書に入れないようにします。なぜなら、文章とは「独断と偏見」によって書かれるものだからです。「…と思う」の語尾も極力やめましょう。文章はすべて「プライベート」から発するものであり、すべての文章の語尾を「…と思う」とすることが可能だからです。
文章を断定形にすることは、読者のためです。断定するから、人は文書を読んでくれるのです。断定しないことは、自己弁護にすぎませんし、そもそも文章にして伝える意味がありません。
とはいえ、断定する文章は怖いです。不安です。「本当にこんなことを言って良いのだろうか?」と悩む時もあるでしょう。しかし、自分が「そうだ」と思うことは、断定してしまったほうが、読み手に伝わります。あまりにストレートすぎるという場合は、「弁証法」を利用すると良いでしょう。賛成と反対、両論を紹介したうえで、結論を述べる方法です。
ちなみに、特定の個人への誹謗中傷に繋がるような憶測の域を出ない情報を、断定形で書く行為は、社会人として失格ですので注意が必要です。
I like chicken / Glutnix
結論から書け、時間軸で書くな
まず、結論を書け。
結論から書き出せ。
それが、強く書く秘訣でもある。
これは、べつに文章講座だけでなく、会社員の報告でも同じだろう。いまも世界中のいろんなところで若者が説教されているはずだ。
時間軸で書かれた旅行記などは、読むに堪えません。ぶっちゃけ、機内食の話などはどうでも良い。読み手としては、その旅行で一番感動したスポットやエピソードを知りたいのです。日記も同じです。朝から順に書かれた記事は、眠くなってきます。
書き手側としては、道中の苦労の積み重ねが感動へ繋がっていることを伝えたいのでしょう。それならそうと書けばよい話です。先ずは感動から紹介することです。背景は後で説明すれば良いのです。
Writing Life / dcJohn
文書は自己表現するものではない
持っているもので戦う人の言葉だけが、きちんと人に届く。
どういう状況にあっても、相手に届けたい言葉だからだ。
無理して集めた言葉、無意味に飾った言葉には、何の力も持たない。
そういう考えの人の言葉には、力がない。「見栄え」にしか興味がないからだ。
「自分を理解して欲しい」感情が、前面に押し出された文章を読むことは、読む側にとっては苦行そのものです。確かに、文章はプライベートから発するもので、どの文章もある意味「自分語り」です。しかし、そのまま自分の意見を書いてはいけません。
「私は…思う」という「一人称+思う」の形を使わず、「意見」ではなく「お話」として書くと読みやすくなります。「意見」が読まれることは、よほどの有名人でない限り、難しいでしょう。「自慢話」なんてのは、もってのほかです。
文章において自分の個性は、何を語るかではなくて、どの文章を削るかで現れます。文章は余分な箇所を切り落としていくことで、より読みやすい文章になると同時に、芯が生まれます。美句で飾り立てられた文章は、押し付けがましくて、読みづらいです。
29/365 – Stating The Obvious / Helga Weber
文章は肉体で書く
文章を書くことは頭脳では支配できない、ということであるし、頭脳だけで書こうとすると失敗する。
「事前に考えてなかったおもいもよらぬこと」をどれだけ書けるかが、文章での勝負となってくる。
文章を書いていると、勝手に手が動いて、予想もしなかった文章を書き上げてしまうことは、誰にでも経験があるでしょう。手と指を動かしながら文章を考えると、脳が活性化して、思いも寄らぬ記憶を引き出してくれます。目の前のテーマと反応して、面白い文章が出来上がります。
このトランス状態を当てにして、文章を書く方法もあります。当初考えていた内容以上のものがアウトプットされて、読者だけでなく書き手自身も驚くような文章が出来上がったとき、一つ成長したといえるでしょう。後日、自分の書いた文章を再読して、語彙や言い回し、切り口などを体に浸み込ませておきましょう。
Grocery shopping list / the Italian voice
読者を想定する
自走している文章を書くには、「誰に向かって、どういう事を書いているか」が、意識されているときだけ、である。
なんとなく、誰にも向けずに書いているものは、そこにとどまったままの文章である。そもそも、そこにあるメッセージが、どこの誰にも向かっていないからである。
ターゲットがぼやけると、文章がぼやけます。実在する人を想定して文章を書くと、人の心に刺さる文章になります。ターゲットにする人格は「ペルソナ」と呼ばれていて、マーケティングの分野でも利用されています。
一番簡単な方法は、自分の知人をペルソナに設定することです。ブログであれば、ブログの素性に合った人物を探して設定します。すごく優秀な人よりも、ごく普通の人物に設定したほうが、読みやすい文章になります。人物が身近にいるのであれば、実際に文章の感想を聞いてみることも有効です。
私のページを読んで「ばっかじゃないの」と言われたい。「ねえ、ちょっと今週号のこれ、読んだ。ばっかなことまたやってるわよ」と強く言われたい。
すべては読み手のために。
読み手の感情を動かし、行動を促す文章こそが、最高の文章です。とはいえ、さあ!といって面白いネタを思いつくはずがありません。日々の生活の中で、なにか新しい工夫がないか、面白い文章はないかどうかを常に意識することが、読んでもらえる文章を書くためのベースになります。
日々の仕事・生活の充実があってこそ、良い文章は生まれてくるのです。
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